悪口はやめよう

みなさん、こんにちは。
突然ですが、皆さんは小学生の時分に「触るなよ、ケガれる」といわれたことはないでしょうか?
小さい頃から電撃文庫と富士見ファンタジア、MF文庫を片手に、顔面dアニメストアのみなさんはもちろん言われたことがあると思います。
人によってはもっとひどい仕打ちを受けていたかもしれませんね。

僕は当時金色のガッシュ・ベルやMARヘヴンを愛していた一方で、月姫涼宮ハルヒの憂鬱を愛読していました。
小学生でこれはキモいですね。
もちろん顔面電撃文庫オタクだったので、幾度も「ケガレ」を教室内に持ち込むことがありました。
また、好きな漫画……月姫を勧めようと月姫の最新刊を見せたところ、意図せぬ主人公のレイプシーンにそのケガレは強さを増しました。

さて、ではケガレとは何なのでしょうか?

小さな頃の私は「汚れ」と書いてケガレと読むと考えていたので、子供ながら傷心し、手をきれいに洗っていました。
しかしながら小学6年生の時、「穢れ」と書いてケガレ と読むことを知ったのです。

「汚れ」ケガレ
この漢字であれば、それは表面上の汚れであり、洗えばとれるものです。
靴が泥にはいって汚れた
運動をしたらこけて汚れた
などです。
もしかしたら、強めの方言も入っているのかもしれません。

「穢れ」ケガレ
もしこの漢字であれば、洗ってとれるものではありません。穢れとは、一般人にはほぼ落とすことができないかもしれない?ものなのです。

例えば、1つコップがあります。
このコップを飲むと、自分の口紅がついてコップが汚れてしまいました。
これなら、洗えばすぐに飲めるとおもいます。
では、そのコップに大便をしたとしましょう(下痢)。
こちらのコップはしっかりと洗浄し、大腸菌や大便カスなどは一切ついていません。匂いもありません。
しかし、このコップで水を飲むとなると、多少の抵抗感があると思います。これが穢れです。
穢れとは、表面上のものではなく、そのものが持たれている固定観念、伝承、イメージによって着いてしまうものです。
同じ「白」という色でも、

ナース服の白と便器の白

白のブラウスと精液の白

これらは、イメージ的には対極的なものだとおもいます。

祈祷師や神社の神主がお祓いで穢れを払うというのは、そういった「その人が呪われている」と思っている固定観念や「この家には悪霊がとりついている」という情報をお祓いをするという方法でそのイメージ=穢れを払拭してきたのだと思いました。

しかし、その理論だとお祓いをしたからといってケガレがつかないわけではありませんね。
特に人間関係の穢れはお祓いではとれることはありません。
誰かが忘れない限り、その穢れは永続的に続きます。
それは相手であっても自分であっても。

多少の穢れであれば、些細なもので人間は自浄することができるでしょう。
しかし、自分に穢れ……悪いイメージをつけすぎた人間は自浄することができず、祟りを起こすことになるでしょう。
その祟りが殺人であったり新たないじめであったり、世に害を成す存在と成りうるのでしょう。
そしてそれが新たな穢れとなり人は祟りを繰り返すのです。

穢れは他人から与えられるものではなく、自分自身でつけることもできます。
怖いのは穢れている存在ではなく、穢れている存在の祟りとも言えます。
なので、人の穢れは自浄できる程度の、軽微なものでなければ、いずれこの世界は祟りそのものとなり、誰も救うことは出来なくなるでしょう。

いじめは、やめようね。